東京地方裁判所 昭和52年(合わ)18号 判決 1977年6月08日
主文
被告人を懲役一年六月に処する。
未決勾留日数中一一〇日を右刑に算入する。
この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。
押収してあるナイロン製白色バンド一本を没収する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(犯行に至る経緯)
被告人は、郷里徳島市で高等学校を卒業したあと、地元の短期大学に入学したが、まもなく母親が病気になって経済的なゆとりがなくなってきたため退学して上京し、タイピストとして資格を取得して商事会社に勤務するようになり、そのかたわら夜間は住居近くのバーで働いていたところ、客として出入していたA(昭和一八年四月二一日生)と親しくなって昭和五〇年八月ころより肉体交渉を持つようになり、同年九月からは、被告人は会社勤めもやめ、妻子のある同人と生活をともにするようになってしまったが、同人と右のような関係になってまもなく、同人から情交中に同人の手足を縛ったり、首を絞めたりすることを要求されるようになり、不本意ではあったものの、そのようにしてやらないとAの性感が高まらないため、やむなくこれに応じているうち、被告人自身もこれにより興奮を覚えるようになった。
当初、被告人はAの首を手で絞めていたが、そのうちこれに満足できなくなった同人は、ネッカチーフやベルトなどで絞めることを要求するようになり、さらにはこれで長い間継続して絞めていないと射精できないようになった。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五一年一二月二〇日午前七時ころ、肩書住居地の被告人方居室において、Aと情交中、同人から、いつものように首を絞めることを求められ、最初ネッカチーフ二枚で同人の頸部を絞めたものの、同人がこれに満足せず、「ロープかバンドを持ってきて絞めろ」と要求したため、前記居室の壁に掛けてあったスカート用のナイロン製白色バンド一本を取り寄せ、あおむけに寝ている同人に馬乗りになりながら前記バンドを同人の首に巻きつけて前頸部で交差させ、両手で前記バンドの両端を引っ張り同人の頸部を絞めはじめたが、同人から絞め方が足りないとして「もっと絞めろ」といわれたため、さらに力を強めて同人の頸部を絞めつけた。そして、右絞頸を約一〇分間くらい続けるうち、次第に陶然となった同人は、ついに射精するに至ったが、その後もなお興奮状態にあった被告人は、自己の性的満足を得るまで約五分間、そのまま同人の頸部を絞め続けた。被告人は右のとおり、同人に対し、その頸部を約一五分間にわたり継続して絞めつける暴行を加えた結果、同人をして、そのころ同所において、頸部圧迫による遷延性窒息により死亡するに至らしめたものである。
(証拠の標目)《省略》
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するが、犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一一〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予することとし、押収してあるナイロン製白色バンド一本は判示犯行の用に供した物で犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、要するに、被告人の本件行為は被害者の承諾によるものであるところ、本件にみられるような承諾にもとずく絞頸行為を伴う性行為は社会的に実在するものであり、かつ、かかる絞頸行為が、被絞頸者の生命身体に対する安全を前提とし、もっぱら性行為の目的で行われ、かつ被絞頸者が正常な判断能力を有し意思表示を行いうる限り、直ちに被絞頸者の生命・身体に危害をもたらす具体的危険性があるとはいえないものであるから違法性を阻却する旨主張する。
前掲関係証拠によれば、被告人はA(以下被害者という)の嘱託により約一〇分間位その頸部をナイロンバンドで絞め、またその後の五分間位は同人の承諾のもとにこれを絞めたものであり、いずれにしろ本件絞頸行為が双方合意のうえで行われたものであることは明らかである。ところで、性交中において双方が合意したうえで行われるいわゆる加虐行為としての暴行や傷害あるいはこれによる致死の結果については、その違法性が阻却されるためには、ただ単にそれが被虐者の承諾嘱託にもとずくというだけでなく、その行為が社会的に相当であると評価されるものでなければならないと考えられる。そこでどのような場合に加虐行為が社会的に相当とされ、あるいは相当とされないのかであるが、性交中の合意ある加虐行為にも種々の態様があり一概にはいえないけれども、本件に即していえば、同じ絞頸行為でも少なくとも相手方の生命に危害を及ぼす危険性の高い絞頸行為によって、性的な満足を高めようとすることは、右社会的相当行為の範囲内に含まれないものと解するのが相当である。なお、弁護人は、被絞頸者が正常な判断能力を有し意思表示を行いうる状態における絞頸行為の危険性を問題としているが、もともと絞頸は、後にも示すとおり、被絞頸者の認識判断能力に影響を及ぼす性格の行為であって、この点に照らし、その危険性判断につき右のような制約を加えることは相当でないと考えられる。
そこで、以下これを本件についてみるに、前掲関係証拠によれば、本件情交の際、被告人が被害者に対し行ったナイロンバンドによる絞頸行為は短時間のゆるいものではなく、判示のような巻き方で約一五分間位という時間被害者の頸部を絞めつづけ、その力の入れ方も情交中のことであるから一定でなく、たまたま一時的に弱まったりしたこともあると思われるが、被告人としては概してかなり強い力を加えていたものであり、これにより被害者は頸部に表皮剥脱、皮下出血の外、筋肉出血をも負っていることが認められ、このような本件絞頸行為の客観的態様に照らすと、本件の如き行為は被絞頸者を窒息死せしめるおそれが強く、従って、これを適時に回避しうる十分な保証がない限り、生命侵害の高度の危険性を帯有するといってさしつかえないと考えられる。(なお、前掲鑑定書中には、本件絞頸が比較的弱い力によって行われたと読める記載があるが、これは右鑑定受託者において、絞首刑のような瞬時もしくは短時間に意識を失うような絞頸と対比したうえで記載したものであって、上述のかなり強い力を加えたという認定とは必ずしも矛盾するものではない。)そして、前掲関係証拠によれば、被害者は本件絞頸行為により、血液中の酸素量が漸次減少し、脳機能が低下して意識混濁が生じ、被害者自身はこれを快感と感じつつ、他方外見的にも恍惚状態にあるように映じ何ら苦痛の表明もなく、絞首刑等の急速な窒息の際にみられるようないわゆる死直前の強い痙攣もないまま酸素欠乏が持続して死亡するに至ったことが認められ、これによれば、本件のような絞頸行為を行った場合、一般に被絞頸者が強い意識朦朧状態に陥り、自己が死に瀕しても快感を感じているためその状況を的確に認識することができず、また絞頸者も被絞頸者が陶然とした様子を示し、何ら苦痛の表情を表わさず、また絞頸者自身性的興奮の状態にあることから、被絞頸者が死に瀕していることを的確に察知できないことが多分にあると考えられ、かつ、本件の場合、一件記録に徴するも、被告人において他に致死の結果を適時に回避することを十分保証する特段の措置を講じていたとの事情も存しないのである。
右によれば、本件絞頸行為は、生命に対する危険性を強度に含んでいるものとして、前記社会的相当行為に関する説示に照らし、許容されない行為であることは明らかであり、いかに被害者の承諾があっても、もはやその違法性を阻却しないものといわなければならないから、弁護人の主張は採用しない。
(量刑の事情)
被告人は、約一五分間に亘って頸部を絞めつづけ、その結果、尊い人の生命を奪ってしまったものであり、その責任は決して軽くはないが、被告人がかかる行為に出たのは、被害者の強い要求によるものであり、これが本件犯行の違法性を阻却するものではないことは前示のとおりであるけれども、量刑上は十分考慮すべきものであり、また、被告人には前科・前歴もなく、若年であって人生のやり直しも可能であるうえ、改悛の情も顕著であって、再犯のおそれもないこと等を総合判断すると、酌量減刑したうえ主文の刑を科し、なおその刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。
(裁判長裁判官 谷川克 裁判官 須田贒 坂井良和)